管理人の経歴書

      

       

                                               管理人 田 辺 国 武

          【おうし座・酉年・B型・愛媛県】      

 


                     金子みすゞの実弟 上山雅輔先生との出会い

桜満開の中、大学生活が始まり、「浅草大衆演劇論」で、金子みすゞの実弟である上山雅輔先生と出会う。演劇史中心の講義は、興味深いものばかりだったようで、当時のノートが今も残っている。

東京オリンピック開会式は、1964年10月10日、雲一つない青空にブルーインパルスが描く五輪マークが美しく浮かんでいた。10月1日(上京半年後)、東京~新大阪間の新幹線開通、東京~四国間が大幅に短縮され10時間くらいになった。

                アルバイト⇒ アッと驚く、しゃぼん玉ホリディ

長兄から十分な仕送りがあったが、50種くらいのアルバイトを経験した。 テレビ局AD、人形劇団、丸の内中央郵便局仕分け、交通量調査、CM撮影現場の大道具掛など、全てがいい経験になった。一番の思い出は、日本テレビ「しゃぼん玉ホリディ」で、ザ・ピーナッツ、クレーキャッツ」と会えたこと? 仕事上普通に会話できただけで感激、田舎から出てきたばかりの若輩者には信じられない程の眩しい方々だった。

                       卒業、そして・・・

上山雅輔先生の授業は二年次も受講、三年次は選択科目がなかったが、四年になり、卒業論文の指導で再会した。卒論のテーマは「テレビにおけるホームドラマの社会性に関する一考察」という迷題?。当時活躍中の某公共放送局のディレクター和田勉氏に電話をかけ突撃取材に行ったことも、学生だから出来たのだろう。三か月ほどで原稿用紙120枚を書き上げ、何とか卒業できた。

そして、ある日突然、師が設立した児童劇団に誘われ演出部員として入社。37年余り勤めることになる。

                      三冊の手帳の危機一発?

児童劇団入社以降、37年あまりにわたって、演出、俳優養成、マネージメントなどに携わる。師の四度の引っ越し手伝いも忘れられない思い出、昼食は毎回「かつ丼」だった。ある日、近隣の火災で呼び出され、先生の指示で真っ先に運び出したのは「三段の桐の引き出し」。その古びた箱には、金子みすゞが弟に遺した童謡集「三冊の手帳」が入っていたことが後日分かった。幸いにも隣家までの7、8棟くらいで延焼は食い止められ難を逃れた。今でも、あのとき「三冊の手帳」にもしもの事があったらと考えると背中が涼しくなる。


上山雅輔先生           幻の東京オリンピック 作詞                             弟に遺した三冊の手帳                           弟と姉 下関商業        


                     何やりたいの? 演出?

入社して3か月の試用期間が終わる頃、上山師夫人である社長から「何やりたいの?」と聞かれ、一瞬困ったが「演出です」と答えたのが、この道の始まり?となった。「じゃあ、来年一本やってみようか」となり、職業としての芝居創りが始まった。めでたく?初演出は無事に終演となったが、社長から「演出の才能がないから、経理をやりなさい」という厳しいダメ出しが待っていた。その後5年くらい、「やっぱり経理」みたいなダメ出しが続いたろうか。そのたびに“算盤は苦手”というような言い逃れを言ったらしく、ある日「コレ使ったら」と、発売されたばかりの「カシオ電算機」(下の写真)を差し出された。昭和40年代後半、10万円くらいの高価なモノだった。(社長は本気?だったらしい?)。そんな状況でも毎年一作品は、演出の機会を与えられ、人生初というくらい必死で勉強せざるを得なくなり、神田の古本屋街を回っては大量の文献を買い込んで読み漁った。幸いにも、演出部という立場で外部舞台担当になり、東京、名古屋、大阪、博多、京都などのほとんどの劇場が自由に出入り出来たので、芝居つくりの現場で、著名な劇作家、演出家から直接学べた事はとても恵まれていた。

やがて、幸か不幸か「経理」の話は自然消滅(?)、毎年3、4本の演出を担当するようになり、井上ひさしシリーズ、金子みすゞシリーズなど、約350作品で、のべ総数一万人を超える仲間との創作活動がン十年続いた。劇場とその稽古場、創作活動の稽古場、養成所生徒のレッスンで時間が埋まり、事務所にいる事はほとんどなかった気がする。

 

   神田神保町古書街      カシオ電算機 給料4か月分の価格      


              子ども達との出会い

児童劇団での出会いは幼児から青年まで数知れず。立派な大人になって活躍中の、坂上忍 吉岡秀隆、岩崎ひろみ、斉藤こず恵、杉田かおる、山下雄大、等とは、3、4、5歳の頃に、豊原功輔、山本耕二、原田優一、高橋一生、は小学生、水島裕、村井麻友美は中学生、丸山ひでみは高校時代の出会いである。主に商業演劇の舞台出演時に付き添った。「顔寄せ」から始まり、稽古、舞台稽古、初日、中日、千秋楽までが一公演である。幕が開いたら毎日行くわけではないが、子どもたちと劇場楽屋、稽古場で過ごした時間は、自身の家族以上かも知れない。(敬称略

                      子ども達の心を守る

私が在していた頃の劇団は、子どもたちを商品扱いせず、一人の人間として大切にしていた。テレビ、舞台出演の際は個人名がタイトルに出るような役以外は請けない良心的なところだった。私の仕事は、職業ではなく情操教育の一環として経験を積んでいる「子供たちを守る」事が主だった。身の安全は当然のこと、「こころ」は、常に見守りが必要である。無防備のままで特殊な?大人社会への出入りは、気付かないうちに、小柄な大人となんら変わらなくなり、本来の「子どもらしさ」が無くなってしまう。観客が舞台の上の子役に求めているのは、表面的な達者さではなく「子どもらしさ」以外にあり得ない。そのために実践したコトの一つに、中学卒業までは業界独特の挨拶ではなく「こんにちわ」、「さようなら」の普通の日常的挨拶を励行した。いつか大人になって、一般社会で通用する常識を見失わないことが大切だという思いから始めたのだった。間違いだというベテラン俳優もいたが、事情が分かると一転、子どもたちを守るための協力者となった。当時の商業演劇の子役のほとんどが、私が在籍する劇団の子どもたちで、少子化が社会問題になるまでの20年以上続き、その担当が私だった。その時代には、演出家、プロデューサー、演出部さん、衣装さん、床山さんなど、スタッフ、共演者の多くが理解者として、子ども達を見守るシステムのようなものがちゃんと出来ていた気がする。  


お世話になった商業演劇作品群(抜粋)

「放浪記」「細雪」「二十四の瞳」「王様と私」「屋根の上のバイオリン弾き」「サウンド オブ ミュージック」「アニー」「ピーターパン」「ラ・マンチャの男」「マイ フェア レディ」「エリザベート」「モーツアルト」「オズの魔法使い」「レ・ミゼラブル」「ミスサイゴン」「ジキルとハイド」「スイニートッド」「スクルージ」「シンデレラ」「アニーよ銃をとれ」「風と共に去りぬ」「奇跡の人」「美空ひばり公演」「江利チエミ公演」「北島三郎公演」「五木ひろし公演」「橋幸夫公演」「舟木一夫公演」「高橋英樹公演」「杉良太郎公演」「森進一公演」「都はるみ公演」「島倉千代子公演」「中村錦之助公演」「村田英雄公演」「三波春夫公演」「細川たかし公演」等々。蜷川幸雄演出「近松心中物語」「にごりえ」「南北恋物語」「下谷万年町」「オイディプス王」「ロミオとジュリエット」「十二夜」「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」他、蜷川さんからはホントに多くのことを学ばせていただいた。およそ3000本の作品で、その数以上の子どもたちや大人の俳優と過ごした事になる。振り返れば、劇場客席と稽古場で過ごした日々が我が人生の大半、諸々とつまらない失敗もあったが、全てが心のアルバムに鮮明に刻印され、か細い人生の力となっている。

                       一番の思い出

一番印象深い作品は、森光子さん主演の「放浪記」の尾道の場面の行商人の子ども役だろう。1970年から2007年まで主に子役を担当した。37年間で延べ90人近くがしっかりと名場面を支え繋いだ。特筆すべきは、写真の子役の「真紀ちゃん」が大人になって、その子供も同じ役で出演するという快挙?を成し遂げたことだろう。「腹へったー。父ちゃん、いっぺんでええけぇ、駅前にあったライスカレーちゅうの食べたぁのう」と、涙を誘う台詞が鮮やかに蘇ります。(写真は、責任者の許可を得て撮影)


                 上山雅輔先生逝く!

 長門市の本番に出演           形見のゼンマイ式時計     上山雅輔演出「熱海殺人事件」

師は、すこぶる元気で創作や養成所レッスンをこなしていたが、平成元年4月11日突然旅立ってしまった。その日は奇しくも姉・みすゞさんの誕生日と重なる。私は、形見に「ゼンマイ式腕時計」「ネクタイ」「レコード」と、師が大切にしていた「金子みすゞ童謡全集ⅠⅡⅢ」をいただいた。「腕時計」と「ネクタイ」は、仙崎の金子みすゞ記念館二階の「金子みすゞの部屋・上山雅輔コーナー」に展示されています。

                座・東京みかん誕生!

2007年9月、“子どもたちの心が育つ環境作り”を目標として、演劇集団 座・東京みかん設立、主に「金子みすゞシリーズ」を中心とした公演を続けて現在に至る。時は流れ時代が変わっても、「子どもらしさ」を大切にする想いは、座・東京みかんに確かに引き継がれている。

そして、2016年5月、我が半世を振り返り「素直と謙虚」を探し求めて、四国88ヶ所巡りお遍路の旅を始めたのだった。

(2016年12月8日、88番札所「大窪寺」で一回目結願しました)⇒ 管理人の別室 ⇢ こちら

四国中央市ふるさとアドバイザー。日本演出者協会。 演劇江古田会。


                      お世話になった劇場

  新宿コマ     帝劇      芸術座    日劇     東京宝塚      明治座      浅草国際      歌舞伎座

  東京都児童会館                             東京厚生年金会館


日生劇場       新橋演舞場        青山劇場        俳優座劇場       名鉄ホール      中日劇場       御園座        中座

  新歌舞伎座        南座     梅田コマ   梅田芸術劇場                博多座    ルネッサながと     土居文化会館


<参考・テレビなど>

NHK-総合TV「歴史秘話ヒストリア」

 

愛と悲しみの「こだまでしょうか」~大正の詩人・金子みすゞの秘密~ 

 

上山雅輔(金子みすゞの実弟)の後輩として出演。

 

 

★南海放送テレビ「えひめ情熱人」

 

「えひめ情熱人・田辺国武(前篇)」2016/3/30放送/・

   〃   〃                  (後編)2016/4/5放送

 

えひめ情熱人200回特別号(2017/1/31放送)