4月11日は、金子みすゞさんの120回目の誕生日(1903)、そして、実弟の上山雅輔先生の34回目の命日(1989)です。
この三冊の手帳は、上山雅輔先生の文机の右側に置かれていた三段の桐の箱の引き出しに保管されていました。
私が出会ってから4度の引っ越しがあり、その都度お手伝いしましたが、いつも最初に運ぶのがこの手帳の入った桐の箱でした。昭和47、8年ころの一回目の引っ越しの後、10棟ほどが延焼した大火がありました。先生からの緊急連絡で飛んで行き、真っ先に「桐の箱」を駐車場まで運び出しました。当時はこんな大切な「お姉さんの形見」が入っていようとは知るまでもありません。強い風に煽られ大火事となり、迫って来る赤い炎を先生と祈りながら見守りました。幸いにも、ほんとに奇跡と言っていいくらいですが、隣家で鎮火しました。何時間か経って、数千のレコードと書籍を、駐車場からお煎餅屋さん二階の部屋に戻すときは、すっかり力が無くなっていました。赤い炎、真っ黒な煙、鳴り響く消防車のサイレン….今思い出しても怖い怖い思い出です。